戦後68年

戦後と言う言葉、最近は殆ど使わないよね。
私が子供の頃は『今年は戦後○○年』と言っていたけど、そのうちに『もはや戦後ではない』と言われるようになって。
だけど、今年は戦後何年だろうとふと数えてみたくなるようなことがあったのです。
(2013-1945=68年であってるよね?)





戦後、海外に移民し成功してその国の政府の要人として日本に来ている方から、娘が行っている小学校に連絡があり、日本にいる間に訪問したいと申し出があったのだそうです。
その方は小学生の頃、学区内に疎開していたのです。
学校で歓迎会をすることになり、その旨のプリントが来た。
それには夫の実家の地域に住んでいたと書いてあったのです。
夫に聞いてみると最初は
「疎開してきた人がいたなんて聞いたこともねぇ」
と無関心だったのに、用事があって役場に行った時に
「おたくの実家の隣に住んでいたみたいなんだけど、知りませんか」
と言われて、慌てて義母に聞きに行ったり、叔父や叔母に電話をかけてました。

結局、夫の祖父がその家族に土地を貸して、家族4人で東京から疎開して住んでいた、と判明。
その人と同級生だった義父の弟は、よく一緒に遊んでいたそうですが、残念ながら交通事故で20代の若さで亡くなっている。
義母の話によると、戦後しばらくして本人が尋ねてきて「その時はお世話になりました」と挨拶に来たのを覚えているそうです。
義父は亡くなってしまったし、義父の弟も脳梗塞をやっているせいか「隣に疎開した人がいたのは覚えているけど名前は思い出せない」と言うし、妹はアルツハイマーで、電話した夫のことすらわからない状態。
役場の人から誰か歓迎会に出てくれないかと言われたけど、こんな状況なので結局誰も行かなかった。

もしかしたらまた実家にも来るのではないかと、夫と義母は家の掃除をした。
実家は物が散乱しているので(義母は整理整頓が苦手)大変だったらしい。
「まったく迷惑な話だよ。私は関係ないのに」
と掃除をするのが面倒な義母は怒っていた。
で、結局来ませんでした。
義母はかなり不機嫌だったようです。

学校の歓迎会で、娘がその方に、父親の叔父さんが同級生だった、と言うと
「それじゃあ、一緒に写真を撮ろう」
と同行して来た人にツーショットで撮ってもらったそうです。
叔父さんの名前もその方は覚えているそうで、苗字が同じだね、と言われたとか。
疎開してきたのは8歳くらいの時だと思うけど、よく覚えているよね。
やっぱり頭のいい人なのね。

ここは昔はかなり閉鎖的な田舎だったから、よそ者に土地を貸そう、って人はなかなかいなかったのではないかと思し、だから戦後わざわざ挨拶に来てくれたのではないかと思います。
娘の曽祖父になるわけだけど、夫が幼い頃に亡くなってしまって、夫も殆ど覚えてないそうですが、暖かい人柄を感じます。
働き者で、自分にも家族にも厳しかったらしいけど。
[PR]
by mittino38 | 2013-09-12 23:57 | 家族

休止中


by ミッチノ
プロフィールを見る
画像一覧